長崎の旅・・・2日目
2016年12月17日 旅に出よう
2日目は、予約して有った軍艦島周遊&上陸ツアーへ
ホテルから近くの港から出航...のはずが港に着くと
人の気配が無い、慌てて運営会社に電話してみると
どうやら港を間違えていたようで、出航港は1kmほど
離れた長崎港ターミナル前。
方向も曖昧なまま、電話の案内を頼りに猛ダッシュ!
何とか出航時間ギリギリ、遅刻寸前で乗船出来ました。
★端島(軍艦島)・・・【写真1】
かつて、世界一の人口密度を誇った海底炭鉱の島。
長さ500mにも満たないその島内に、社宅や小中学校。
市場や病院、映画館やパチンコ店といった娯楽施設まで、
プールや神社まで有ったそうで、まさに1つの街のよう。
炭鉱を掘るために存在した街は、炭鉱の閉山と共に
島民も離れ、今では無人の廃墟のような島。
遠くから見る姿は、まさに海に浮かぶ軍艦のような姿。
昨年、世界遺産にも登録され有名になりましたよねぇ
世界遺産の登録には「真正性」「完全性」が求められる中
この風化し崩れていく現状で登録された希少な遺産。
日本最古の鉄筋コンクリート製の建築、30号棟
さてさて、数十年後にどうなっているでしょうか?と、
ガイドさんも語っていました。
炭鉱の閉山が、1974年。例えば当時20歳だった人は今
62歳ですから、まだ生きてる方も当然いますよねぇ。
軍艦島での生活のお話とか、凄く聞いてみたいです
★原子爆弾落下中心地碑・・・【写真2】
1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下された
その落下中心の碑。まさにこの上空数百mで炸裂
園内にはこの碑の他、被爆当時に地層や移設された
浦上天主堂の壁の一部が有り、当時の惨劇を思うと
鳥肌がたつような恐ろしさを感じます。
原爆の驚異。戦争の悲惨さを忘れる事なく伝えていく
上で、大切な場所ですよねぇ。
二度と同じ過ちを、繰り返さないよう...
★山王神社..第二鳥居・・・【写真3】
こちらも原爆の驚異を今に残す、一本足の鳥居。
もとは第四鳥居まで有ったそうですが、
原爆の投下や事故により倒壊。爆心地に平行に建っていた
この第二鳥居のみが今も、片足で残っています。
爆風でねじ曲げられた笠石、脇には倒壊した残骸も有り
ここもまた、戦争の恐ろしさを物語っています。
世界の平和を祈って来ました。
この日も前日と同じ長崎市内のホテルへ宿泊。
旅行の際には、連泊にすると移動時の荷物も
少なくてすむので、便利ですよねぇ~
ホテルから近くの港から出航...のはずが港に着くと
人の気配が無い、慌てて運営会社に電話してみると
どうやら港を間違えていたようで、出航港は1kmほど
離れた長崎港ターミナル前。
方向も曖昧なまま、電話の案内を頼りに猛ダッシュ!
何とか出航時間ギリギリ、遅刻寸前で乗船出来ました。
★端島(軍艦島)・・・【写真1】
かつて、世界一の人口密度を誇った海底炭鉱の島。
長さ500mにも満たないその島内に、社宅や小中学校。
市場や病院、映画館やパチンコ店といった娯楽施設まで、
プールや神社まで有ったそうで、まさに1つの街のよう。
炭鉱を掘るために存在した街は、炭鉱の閉山と共に
島民も離れ、今では無人の廃墟のような島。
遠くから見る姿は、まさに海に浮かぶ軍艦のような姿。
昨年、世界遺産にも登録され有名になりましたよねぇ
世界遺産の登録には「真正性」「完全性」が求められる中
この風化し崩れていく現状で登録された希少な遺産。
日本最古の鉄筋コンクリート製の建築、30号棟
さてさて、数十年後にどうなっているでしょうか?と、
ガイドさんも語っていました。
炭鉱の閉山が、1974年。例えば当時20歳だった人は今
62歳ですから、まだ生きてる方も当然いますよねぇ。
軍艦島での生活のお話とか、凄く聞いてみたいです
★原子爆弾落下中心地碑・・・【写真2】
1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下された
その落下中心の碑。まさにこの上空数百mで炸裂
園内にはこの碑の他、被爆当時に地層や移設された
浦上天主堂の壁の一部が有り、当時の惨劇を思うと
鳥肌がたつような恐ろしさを感じます。
原爆の驚異。戦争の悲惨さを忘れる事なく伝えていく
上で、大切な場所ですよねぇ。
二度と同じ過ちを、繰り返さないよう...
★山王神社..第二鳥居・・・【写真3】
こちらも原爆の驚異を今に残す、一本足の鳥居。
もとは第四鳥居まで有ったそうですが、
原爆の投下や事故により倒壊。爆心地に平行に建っていた
この第二鳥居のみが今も、片足で残っています。
爆風でねじ曲げられた笠石、脇には倒壊した残骸も有り
ここもまた、戦争の恐ろしさを物語っています。
世界の平和を祈って来ました。
この日も前日と同じ長崎市内のホテルへ宿泊。
旅行の際には、連泊にすると移動時の荷物も
少なくてすむので、便利ですよねぇ~
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